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大阪地方裁判所 昭和32年(ワ)3527号 判決 1967年1月19日

原告(反訴被告) 渋谷敏子 旧姓名 品川敏子

被告(反訴原告) 大塚登

被告 大塚タツ

〔人名いずれも仮名〕

主文

被告大塚登(反訴原告、以下単に被告登という。)は原告(反訴被告、以下単に原告という。)に対し金五〇〇、〇〇〇円を支払え。

被告登は原告に対し着物山繭一点を引渡せ。

右物件の引渡ができないときは被告登は原告に対し金五、〇〇〇円を支払え。

被告大塚タツ(以下単に被告タツという)は原告に対し金二八〇、〇〇〇円を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

原告は被告登に対し金二四、二〇〇円及びこれに対する昭和三二年八月一七日以降完済に至るまで年五分の金員を支払え。

被告登のその余の反訴請求を棄却する。

本訴及び反訴の訴訟費用はこれを四分し、その三を被告両名の、その余を原告の負担とする。

この判決は各勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は本訴につき、「被告登は原告に対し金七〇〇、〇〇〇円を支払え。被告タツは原告に対し、主文第四項の金員を支払え。被告登は原告に対し別紙物件目録<省略>記載の物件を引渡せ。右引渡しができないときは不能部分につき別紙物件目録中に表示した各物件価格に基き計算した金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、反訴につき、「被告登の請求を棄却する。訴訟費用は被告登の負担とする。」との判決を求め、本訴請求の原因並びに反訴請求の原因に対する答弁として、

「第一 慰藉料請求について

一  原告は媒酌人野上幸三郎の勧めにより昭和二八年一二月三〇日被告登と見合いをしていわゆる婚約をしたが、挙式は一年ぐらい先にすることを希望していたところ、被告等から早く挙式したいとの強い要望があつたため、翌二九年一月三〇日同被告との仮祝言を経て、同年三月二〇日同被告と結婚式を挙げ、爾来、後述のとおり原告がその実家たる大阪府〇〇〇郡〇〇一番地渋谷政信方に送り返された同三〇年二月一四日迄の間、被告等肩書住所所在家屋の離れで被告登と事実上の夫婦として同棲していた。

二  然るに被告登の養母被告タツは、原告と被告登との仲を裂かんとして、原告に対し同居に耐えられない侮辱虐待をした。即ち、(イ)、昭和二九年九月頃、被告登の養父であり被告タツの夫でもある大塚由蔵(以下単に由蔵という)が原告に対し入籍の手続を採るよう勧めてくれた際、被告タツは右由蔵に向い「敏子(原告)にそんな事は言わなくてもよい、お父さんは黙つてて下さい。」とたしなめると共に、原告に対しても「この事は〇〇(原告の実家のある地名にして原告の実家を指す。)に行つて言わなくとも宜しい。」と言い聞かせ、原告が被告登との婚姻の届出をするのを暗に妨害禁止した。(ロ)被告タツは大塚家店員に対し、原告の面前で、「敏子は融通がきかず頭のめぐりが悪い。」等と述べて原告を侮辱し、或いは夕食時に被告登の面前で「三枝子(大塚家の女中)がこんな御飯を炊くと兄ちやん(被告登)は怒つて食べないのに三枝子は損だねえ。」とか「敏子に朝御飯を炊かせるとゆつくり寝てられない。」等と言つて、原告が家事不慣れで炊事不得手なのを利用し、原告夫帰にいやがらせした。(ハ)、昭和三〇年一月二日、原告は被告タツから、実家へ一ケ月程里帰りするように言われたので、やりかけていたオーバーの仕立直しの続きをするつもりでこれを風呂敷に包んだところ、これをみた被告タツが、「実家に迄持つて帰ると如何にも暇なく働かせているように見える」と叱りつけ、原告が何度謝つても聞き入れず里帰りを許してくれなかつた。(ニ)、ところが同月一五日に至り、被告タツは原告に対し、被告登が京都へ出張不在中、夫に無断で里帰り出来ないから翌日にするという原告の申出にもかかわらず、直ぐに里帰りせよと命じ、自ら自動車の手配をさせた上強制的に原告を実家に帰らせたが、その際原告は被告タツから、「若しこの家におりたくなかつたら何をしやべつてもよい。」と奥歯に物のはさまつたような事を言われた。(ホ)、原告は里帰りしたものの被告家は月末は忙しくなるのを知つていたのでこれを気遣い同月二六日被告家に戻り、折柄日本舞踊の稽古中だつた被告タツに帰宅の挨拶をしたところ、同被告は、「何しに来たか一ケ月程居なさいと言つたのに」と憎悪に満ちた言葉を投げつけて原告に当りちらし、以後原告に対しものを言わなくなつた。(ヘ)、同年二月四日、被告タツは原告に多量のおりものがあるのを知つて所謂花柳病に罹つているのではないかと邪推し、原告に対し医師の診断を受けるように勧め、翌五日自ら原告を同伴して赤羽医師のもとを訪れ、診察してもらつたところ、花柳病の虞は全くなく妊娠三ケ月である事が判明した。ところが、原告が出産するような事になれば被告登との間が強く結ばれるであろう事をおそれた被告タツは、原告に対し、母体の安全をはかるのが一番重要である旨説得して堕胎手術をすることを強要し、原告をして同月七日同医師によつて右手術を受けるのやむなきに至らしめた。(ト)、しかも同医師が、堕胎手術後は余後の処置として二週間位安静を保ち養生に努めるべき旨を被告タツに指示したにも拘らず、被告タツは右手術後わずか一週間しかたつていない同月一四日、実家の方が落着いた気分で療養が出来ると称し、遠隔の地でありかつ悪路の中を敢えて原告をその実家に送り帰した。

三  一方被告登は、被告タツに対しいたずらに迎合し、同被告と意思を相通じた上、原告に対し同居に耐えられない侮辱虐待をした上、純真な処女を捧げた良家の子女である原告を一方的に実家に追い返して本件婚姻予約を破棄した。

即ち、(イ)、昭和三〇年一月二七日、前記のとおり実家から戻つた原告に対し、被告タツとは逆に「月末は忙がしいのが判つているのにいつ迄も帰つて来ない。」と小言をいい、この日から被告登はなにかにつけて原告を困らせたり、自ら外泊したりするようになつたが、原告に対する被告登の要求と被告タツの命令とは事毎に矛盾しておりこれが原告を悩ませた。(ロ)、同年二月四日、被告登は、原告不知の間に媒酌人野上幸三郎を介して原告の実父母に本件婚姻の破談を申入れた。その理由とするところは、<A>原告が外泊していること、<B>被告登は、結婚前の身体検査においてなんら異常がなかつたにもかかわらず、結婚後原告に「オリモノ」が出てその後間もなく被告登にも出たから原告が純潔でないこと、<C>原告に他の男性から手紙が来ること、<D>原告が洋裁学校に通うのを嫌がること、<E>原告は冷たいこと等であつたが、これらはいずれも原告にとつて身に覚えのないものばかりであつた(但し<A><C>については後述のとおり。)。(ハ)、原告は被告タツ等によつて無理やり実家に帰された同月一四日以後、療養に努め健康を回復してはじめて両親から右破談の申入れがあつた事実を聞かされて驚くと共に、被告登の誤解を解きその翻意を促すべく、媒酌人野上幸三郎に被告登と面会し二人きりで話合う機会を作つてくれるよう懇請し、その返事を聞くため同月二三日右野上方を訪れたところ、同人から被告登が原告に会う意思は全然ない旨言明していると聞かされた。

四  被告登が反訴請求の原因の第二項で主張する事実のうち、原告が被告タツのはからいで茶道、生花等の稽古を受け、〇〇洋裁学校に、通学して洋裁を修得したことは認める。原告が外泊した事実はあるが、それは昭和二九年四月六日ではなく四月一八日であり、しかも当日原告は実家渋谷家の墓参をした帰途、嫁入りの際親身も及ばない世話を受けた友人の藤沢泉方にお礼傍々立寄つたところ、突発的に出た疲労感と発熱のため歩行も困難な状態になつたので、止むを得ず同女宅で一夜療養したものであつて不純なものではない。又進駐軍兵士その他との密通恋愛云々の事実も全然ない。唯結婚前滝田商事株式会社に勤務していた当時、同社が土産物販売を業としていた関係上顔を合わせることがあつた客の駐留軍人から、一方的な手紙を受取つたことはあるが、原告から手紙など出したこともなく、そのことだけで右軍人との恋愛密通が成つたと信ずるのは被告等の邪推偏見にすぎない。

同四項中、被告登が原告を見舞うため原告実家を訪れた事実は全くない。媒酌人野上幸三郎が原告宅を度々訪れたことはあるが、これも原告を被告方へ円満復帰させるための、交渉に来たものではない。原告が大阪家庭裁判所堺支部に被告主張の申立てをしたことはあるが、これは本件の問題を実家の渋谷家の者が同支部に相談に行つたところ、裁判所係官から調停の申立てをするよう指示された上、申立書の書き方まで教えられたので、これに従つたものであつて、原告の真意によるものではない。

五  以上の事実からみるときは、被告登は何等正当な理由なくして一方的に原告との婚姻予約を破棄したものであり、被告タツは種々いやがらせをして被告登と原告の仲を裂き更に被告登を教唆して本件婚姻予約を解消せしめたものであるからこれにより原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。ところで、原告は、昭和八年九月一三日父渋谷政信母渋谷シズとの間に三女として出生し、国民学校時代より学業成績優秀で且つ人望もあり、その後大阪府立〇〇〇高等学校を卒業後〇〇〇タイプライター専門学校で英文タイプ技術を修得した後、一時滝田商事株式会社に勤務したこともあつたが、本件結婚式を挙げた当時は家事手伝に従事していた処女である。一方被告登(本件挙式当時二七歳)は、大塚由蔵及び被告タツ両名との間に昭和六年一一月二三日養子縁組を為し、現在丸善石油株式会社、スタンダードヴアキユーム石油会社の各販売代理店を兼ねる大塚石油株式会社(資本金五〇〇万円)の株主兼取締役であり、〇〇〇市内の有望な場所に宅地一八八坪を所有し、被告タツは右大塚石油株式会社の株主兼監査役である。のみならず被告タツの夫であり且つ被告登の養父である大塚由蔵は右大塚石油株式会社の大株主、代表取締役であつて、自己及び会社名義で多数不動産を所有し、〇〇〇市における有数の大資産家である。右事情を考慮すれば原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料は被告登においては金七〇〇、〇〇〇円、被告タツにおいては金二八〇、〇〇〇円を相当とするから被告等に対し右各金員の支払いを求める。

第二 動産の引渡請求について

別紙目録記載の物件は、いずれも原告が本件婚姻予約開始の前後にわたつて被告タツ、大塚由蔵等から贈与を受けこれが引渡しを受けてその所有権を取得した上、大塚家離れの原告夫婦の居室において保管していたものである。ところが原告は昭和三〇年二月一四日被告タツ等によつて半ば強制的に原告実家に送り返され以後大塚家復帰を拒まれているので被告登がこれら物件を保管し占有している。よつて被告登に対し右各物件の引渡しを求めると共に、その引渡しができないときは代償請求として、不能部分につき別紙目録中に表示された各物件価格に基き算出した損害金の支払いを求める。

第三 反訴請求中不当利得及び立替金支払い請求についての答弁

反訴請求の原因六項の事実中、原告が被告登から金一〇〇、〇〇〇円の限度で結納金を受領したことを認めるが、これが条件附贈与であるという主張は争う。同七項の事実のうち、いわゆる婚礼費用なるものを何程支出したかは不知、婚礼費用の分担につき被告登主張のような慣習があるとする点は争う。本件結婚式のように新郎側の自宅で挙式されたような場合は、各自が支出した費用は支出者の負担とし立替金の清算なる名目で金額の授受はしないものである。被告主張の慣習が仮に存在するとしても、それは神前結婚、仏前結婚或いは式場拝借による出会い結婚の場合にとられる方式にすぎず、本件はこれらいずれの場合にも該当しない。」と述べた。証拠<省略>

被告訴訟代理人は本訴につき、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を、反訴につき、「原告は被告登に対し金五六六、二〇四円、及び、内金二〇〇、〇〇〇円に対する昭和三〇年二月一五日以降、内金三六六、二〇四円に対する同二九年三月二一日以降各完済に至るまで年五分の金員を支払え。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決並びに反訴につき担保を条件とする仮執行の宣言を求め、本訴に対する答弁並びに反訴請求の原因として、

第一本訴及び反訴中慰藉料請求について

一  原告及び被告登が原告主張の経緯をへて昭和二九年三月二〇日被告等の岸本家離れで同棲するに至つたこと。原告及び被告等両名の身分関係、年令、学歴、職歴についてはこれを認める。

二  挙式後の夫婦生活において、原告は被告一家の営業に全く理解を示さず、被告登の養父大塚由蔵及び被告タツに対しては終始言葉少ないのに反し、夫である被告登に対しては恰も年上の女性の如き態度で振舞い日常同人を蔑視しその言に従わなかつた。然し被告等はこれも被告家の生活に慣れないための事と思い、原告に教養を得させることを主とし、原告をして、店の手伝い、炊事、屋内掃除等に従事させる事なく、却つて専門教師に依頼して茶、生花並に洋裁を修得させる等普通家庭では及びもつかない寵愛を与えたにも拘らず、原告は被告等の厚い好意と右配慮を無視し、昭和二九年四月六日、夫である被告登に無断で外泊したばかりか、進駐軍兵士その他の者と密通恋愛関係を継続する等の不良行為に及んだ。

三  その間被告登は原告に対しその入籍を求めたところ、原告は右入籍に関する書類を原告実家から持参しながら何故かこれを被告登に手渡さなかつたため入籍出来なかつたのであつて、原告主張のような被告タツの妨害行為は全く存在しない。本訴請求の原因第一の二の(ロ)乃至(ヘ)の事実は否認する。原告が妊娠中絶するに至つた事情は次のとおりである。即ち、昭和三〇年二月五日、原告は悪阻がひどかつたので単身医師赤羽正雄を訪ずれてその診察を受けた結果妊娠二ケ月と診断され、同月七日被告タツも原告に同道し更に同医師の診断を受けさせたところ、同医師から流産の危険が多分にあり、此の際堕胎手術をした方が良いと思う旨説明を受けたので、被告タツは大いに驚き、原告に対し、「子供も大切だが、それ以上に貴女自身の身体が大切であるから実家の父母とも相談の上どうするか決定しなさい。」と言い聞かせたのに対し、原告は「自分一人の判断で処置しても差支えない」と言い張り、子の出産を回避せんとして堕胎手術を受けることを強く希望したので、被告タツ及び看護婦からの連絡で同医師方に駆けつけた被告登も止むなくこれに同意し、同日右手術を受けしめたものである。

四  同第一の二の(ト)及び第一の三は全て否認する。原告は右堕胎手術後間もなく保養のためと称して里帰りを申出たので、被告タツが同道して原告を自動車で実家まで送り届けたところ、数日を経過するも原告からは何らの音信がないので、その後の病状の推移につき心痛していた被告登は、原告を見舞うべく再度に亘り原告実家に赴いたが、その都度実家の父母は原告との面会を拒否し、原告自身も亦これを避けるので、被告等は媒酌人野上幸三郎に依頼して原告が婚家へ円満復帰するよう交渉を重ねた。ところが、その交渉の最中である同年三月初旬、原告は何等正当な理由がないのに本件婚姻予約を一方的に解消し、被告登を相手方として、大阪家庭裁判所堺支部に内縁関係解消等請求調停の申立をし、同裁判所昭和三〇年(家イ)第三七三八号事件として係属したが、原告の不当な請求のため遂に調停成立に至らなかつたものである。

五  以上の事実から明らかな様に本件婚姻予約はむしろ原告が自ら進んで一方的に解消せしめたものであり、しかも右解消には何等の正当な理由がないのであるから、右予約不履行責任は全部原告に存する。従つて、原告は、右不履行により被告登が蒙つた損害を賠償すべき義務があるところ、被告登が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金二〇〇、〇〇〇円をもつて相当とするから、ここに原告に対し、右慰藉料及びこれに対する同三〇年二月一五日(原告が実家に帰つた日の翌日)から完済まで、民法所定年五分の遅延損害金の支払いを求める。

第二不当利得返還請求について

被告登は本件結婚式に当たり、原告に対し、結納として金一五〇、〇〇〇円(内訳小袖料一〇〇、〇〇〇円、松魚料二〇、〇〇〇円、柳樽料三〇、〇〇〇円)を交付したが、これは適法な婚姻の成立を予想してなされた一種の条件附贈与であるから、本件のように当該婚姻予約が後に至つて解消された結果婚姻が不成立に終つた場合には、給付を受けた原告は、不当利得としてこれを被告登に返還すべき義務がある。よつて被告登は原告に対し右金員及び右金員交付の日の後である昭和二九年三月二一日以降完済に至るまで民法所定年五分の遅延損害金の支払いを求める。

第三立替金返還請求について

被告登は昭和二九年三月二〇日原告との結婚式を挙行するに際し、(イ)、結納セツト及びその附属品代金一五、〇〇〇円、(ロ)、原告が新婦として被告登宅に来乗した自動車料金一一、二〇〇円、(ハ)、原告が被告登宅に持参した荷物の運搬代金五、〇〇〇円、(ニ)、原告の婚礼着付及び結髪代金八、〇〇〇円、(ホ)、結婚式並びに披露宴費用金四四二、五一〇円の内一〇分の四にあたる金一七七、〇〇四円(これについては、従来から田舎のしきたりとして新婦を送り出す側がその一〇分の四を負担する慣習が存在するところ、当事者双方とも右慣習に従つて出資をする事に異存はなかつた。)、以上合計金二一六、二〇四円を立替えて支払つたから、ここに原告に対し、右立替金及びこれに対する支払日の翌日である同月二一日以降完済に至るまで民法所定年五分の遅延損害金の支払いを求める。

第四本訴中動産引渡についての請求原因に対する答弁

原告主張の各物件を被告タツ或いは大塚由蔵が原告に贈与したとの事実は否認する。右物件中(1) 、(2) 、(3) 、(9) 、(11)、(14)はいずれも被告タツ等が挙式用として原告に貸与したものにすぎず、使用後原告から返還を受けてこれを他に処分したから被告登は現在右物件を占有していない。

又(5) 、(10)、(12)、(13)の各物件は当初より全く存在しなかつたものであり、(6) 、(7) 、(8) の各物件は、いずれも被告登が占有しているけれども原告の所有ではない。と述べた。

証拠<省略>

理由

第一本訴及び反訴中各慰藉料請求について、

一、原告は被告登と昭和二八年一二月三〇日見合いをした上昭和二九年一月三〇日仮祝言をし、次いで同年三月二〇日結婚式を挙げ、同日から被告登の肩書住居の離れにおいて同被告と事実上の夫婦として同棲し内縁関係を続けていたが、昭和三〇年二月一四日、原告が被告タツに附添われ、右住居からその実家である大阪府〇〇〇郡〇〇町〇〇一番地渋谷政信方に送り返された結果右内縁関係が事実上解消するに至つたことについては当事者間に争いがない。

二、ところで原告は、被告等両名が共同して原告に対し同居に耐えられない侮辱虐待を加え、更に原告に全く無断で原告実家に一方的な破談の申入れをし、次いで原告が妊娠していることを知るや原告の希望を無視して、原告に無理やり堕胎手術を受けさせた上、その療養のためなる名目で原告を実家に追い返し、以後一切の面会を拒絶する等して本件内縁を一方的に解消せしめた旨主張し、被告等両名は原告こそ婚家である大塚家を出て実家に戻つたまま被告登の再三に亘る復帰の要請を拒絶し自ら進んで本件内縁を一方的に解消せしめたものであると主張するので、この点につき判断を加える。

成立に争いのない乙第七号証の一乃至九、原告本人尋問の結果(一、二回)により真正に成立したものと認める甲第三号証の一に、証人野上幸三郎、同小松川三枝子、同鶴見雅文、同野上サキエ、同大塚由蔵(以上後記信用しない部分を除く。)同藤沢泉、同目白志津子、同赤羽正雄、同金田政太郎、同金田美津子、同田島紀子、同渋谷政信(一、二回)同渋谷シズ(一、二回)の各証言、並びに、原告及び被告等(後記信用しない部分を除く。)各本人尋問の結果(各一、二回)を綜合すると、原告は、媒酌人野上幸三郎の世話で、昭和二八年一二月三〇日被告登と見合いをした結果、両名において結婚することを約したのであるが、原告としては、直ちに結婚生活に入るにつき、心理的にも物質的にもその準備が出来ていなかつたため、挙式までに一年程期間を置いて欲しい旨希望していたところ、原告の人柄に好感を抱いた被告等から挙式を早くすませたい旨の強い希望があつたので、とりあえず、昭和二九年一月三〇日、被告等肩書の住居において仮祝言を挙げるに至つたこと、その後原告が被告等方を訪れる毎に、被告タツは原告に対し、「早く結婚式を挙げて正式の夫婦になつて欲しい、着物はなくとも裸で来てもらえばそれでよい、お茶やお花の稽古も洋裁を習うことも結婚してから大塚家の方でしてあげるから心配しないでよい。)と熱心に説得に当る一方、右野上を通じ原告の実父母にも同様積極的に説得した結果、漸く原告もこれに同意し、同年三月二〇日、前示被告住居において盛大な結婚式を挙げ、同日より原告は被告登と同家の離れで同棲し、被告登の両親である大塚由蔵及び被告タツとも同居して日常生活を共にするに至つたこと、被告登と原告の夫婦仲は、当初は別段障害となるものもなく円満であり、由蔵及び被告タツは、洗濯炊事等家事の処理に万事不慣れな原告に対し快く指導助言をする等したほか、挙式前の約束に従い、原告を〇〇洋裁学校に通学させて洋裁の習得に励ませたり、自宅において生花の個人教授を受けさせたりして好意を示したので原告夫婦と由蔵及び被告タツ等との間に融和を欠く事情は存在しなかつたのであるが、同年四月一八日、原告が実家である渋谷家の墓参のため単身外出した際途中俄雨に遭つたことから、風邪を引いて発熱し、若干目まいも覚えたため、〇市在住の友人藤沢泉方に一泊したが、このことを当夜被告登に電話その他の方法で連絡しなかつたことがわだかまりとなつて、原告夫婦間に幾分感情的いき違いが生じたこと、その後時日が経過するにつれて、被告タツは原告の実家がその地方では名の知れた家柄であるにもかかわらず、原告の持参した花嫁道具たる衣裳家具等が、同被告の予期した程多くなかつたことに内心不満を抱くようになつたこと一方原告は、新生活に慣れて来たので自分か実家から持参した衣裳小道具類を整理するうちに、結婚前、駐留米軍相手に土産物を販売する滝田商事株式会社に勤務していた当時知り合つたプエルトリコ人フランクが素朴な恋愛感情を綴つて原告宛に送つて来た英文の手紙数通を箪笥抽斗の中から発見したが、原告自身同人に対し特別の感情を抱いておらず、又特に訳文も附されていなかつたところから、なんの気なしにこれを被告タツ等に交付して見せたところ、同被告等はこれにつき特に詮索はしなかつたがこれを原告に返還せず以後右手紙は被告タツが保管するままになつていたこと、こうした出来事が直接間接に影響し、被告タツの原告に対する認識を変えさせたふしが窺われるのであるが、同年秋頃から被告タツは次第に原告に対しつらく当るようになり、例えば家事の些細な事にまで口喧しく注意を与えたかと思うと、或る時は遂に殆んど言葉も交わそうとしない態度を見せ、由蔵が原告に対し親切すぎるとしてこれに不満を抱き、由蔵が被告タツの無理な仕打ちを受ける原告に同情して原告を慰めることが原因で、由蔵と被告タツとの間で喧嘩口論がしばしば起こつたりして、被告タツの原告に対する監視を厳しくするようになつたばかりか、時には由蔵に当りちらし頭痛がすることを理由に大塚家の経営するガソリンスタンドの一室に寝泊りし数日住宅の方に戻らなかつたり、原告に対しては事ある毎に「敏子(原告)に追い出されたらお遍路さんになる。御詠歌あげて廻つて歩く」等とあてつけに嫌味を言うようになつたが、この様な事から由蔵も原告と話しをするのを極力差控えるようになつたこと、同年一〇月二三日原告の実父母が被告登をはじめ大塚家の家族、並びに店員、女中等を招待し一日その持ち山を開放して松葺狩りを催し、同人等を歓待したことがあつたが、その際由蔵が原告に対し、丁度よい機会だから籍を入れてもらうよう実父母に話してはどうかと勧めたところ、傍に居た被告タツがこれを聞き咎め、由蔵に対しては、「敏子(原告)にそんな事を言わなくても良い、お父さんは黙つてて下さい」と強くたしなめると共に、原告に向つては「籍の事は敏子さんが(実父母に)言わなくともいいです。私に任せておきなさい。」と公言したのにかかわらず、その後被告タツが原告の入籍手続をしてくれなかつたこと、翌昭和三〇年一月二日原告と被告登が連れ立つて原告実家に年賀の挨拶に行つたがこの時は即日帰宅したので、同月六日頃、被告タツは原告に対し、一カ月位実家でゆつくり正月をすごして来るようにと言つたので、原告は喜んでその言に従うこととし、かなりの長期間の里帰りであるから暇が出来るであろうと予想し、縫いかけ途中のオーバー生地を実家に持ち帰るつもりでこれを風呂敷に包もうとしたところ、これが被告タツの感情を極度に害する結果となり、俄に憤激した被告タツは「如何にも(原告を)女中替りに暇なく働かせているように見える」と叱つたうえ、今までの態度を一変し、原告が何度となく陳謝するのも聞かずに原告の里帰りを禁止し、漸く同月一六日にその里帰りを許したこと、原告は里帰りしたものの、右のような事情もあつたことや、月末で商売柄夫も忙がしくなるのを気遣つて、予定より早く同月二八日被告等方に戻り、折柄離れの一室で日本舞踊の稽古中であつた被告タツに帰宅の挨拶をしたところ、意外にも被告タツから「一と月程実家に帰つていなさいと言つたのに、今時分何しに来たのです?」と意地悪く叱責され、他方被告登からは、逆に「月末は忙しいのが分つているのにいつ迄も帰つて来ない」と不平を言われ、その後被告登の原告に接する態度は急によそよそしくなつたばかりか、被告両名は何事かを密談し、原告の姿を見つけると申し合わせたように黙り込む事が数度に及んだこと、それまでにも、昭和二九年一二月頃より、原告が由蔵或いは被告タツから結婚式の前後に亘りあつらえてもらい原告が原告の所有物と信じて原告夫婦の住む大塚家離れの箪笥等に保管中の婚礼衣装、外出着等を被告タツは種々理由をつけては持ち出し母家の方に保管替するだけで一向にこれを原告に返還してくれなかつたこと、こうした不審な言動が相次いだため、原告は被告等が原告を実家に追い返す相談をしているのではないかという極度の不安にかられるようになつたが、偶々、同三〇年二月はじめに至り、原告に、従来しばしば悩まされた事のあるこしけが、従来になく多量にあつたところ、これを知つた被告タツにおいて、原告が所謂花柳病に罹つているのではないかと疑い、同月五日原告を伴い赤羽医師を訪れ診察を受けた結果、その虞がなく、却つて姙娠三ケ月と診断されたのであるが、翌六月夜原告は激しい腹痛及び腰痛を訴えたことから同月七日再度同医師に診察を受けると、既に子宮口が開き始めており流産の危険が発生しているとの説明を受けたので、被告タツは、当時既に後示の通り原告実家に対し破談の申入をしていたのにかかわらず、恰かも、原告の母体保護を優先させるのが先決であるように装い、原告に対し、自己の過去の経験に基き母体を保護する為にはこの際堕胎手術を受けた方がよい旨説得したこと、原告はつい先日までは言葉もかわしてくれなかつた被告タツが態度を急変し、優しく助言してくれることに戸惑うと共に、前記の不安も手伝つて、内心では出産したい気持だつたのを抑さえ、被告タツの意を入れる事によつて同人との不仲を解消しようと決意し、夫である被告登の同意を得た上、同日同医師の堕胎手術を受けるに至つたこと、その後原告は、家事に従事することなく数日被告等方離れで療養に努めていたが、療養は実家でする方が効果が上がるという被告タツの勧めにより同月一四日被告タツ及び大塚家女中小松川三枝子に伴われ自動車で実家に帰り、数日休養して健康を回復したところ、実父母から、既に同月四日、媒酌人野上幸三郎を通じて被告等から原告及び被告登間の内縁関係を解消したい旨の申入れがあつた事実、及びその理由として、被告等が原告の貞節を疑つていること、原告が不名誉な病気に罹つていること等を挙げていることを告げられたので、全く身に覚えのない原告は、大いに驚くとともに、自己の名誉をかけて被告登の誤解をときその翻意を促そうと決心し、媒酌人野上方を訪れ、被告登と面談出来る機会を作つて欲しい旨熱心に依頼したところ、同人は早速被告登と会い右原告の意思を伝えたけれども、被告登は原告との面談の必要を認めず、却つて、原告との内縁関係を継続してゆく意思が全くない旨言明したため、これを野上から報告を受けた原告は、被告登との本件内縁関係の継続ないし婚姻生活を期待出来ない事を悟り、これが解消のやむなきことを決意するに至つたことが認められ、以上の認定に反する証人野上幸三郎、同小松川三枝子、同鶴見雅文、同野上サキエ、同大塚由蔵の各証言並び被告等各本人尋問の結果(一、二回)の各一部はその余の前掲証言、ならびに、本人尋問の結果に照らして信用することができない。

三、以上の認定事実を総合要約すると、原告は昭和二九年三月二〇日被告登と結婚式を挙げ被告登の養父母(大塚由蔵及び被告タツ)の許で事実上の婚姻生活に入つたが、当初は被告登は原告に対し格別深いという程ではないまでも通常程度の愛情を示していたし、被告タツも家事経験にうとい原告に助言を与え快く指導したので至極円満な夫婦並びに家族生活が営まれていたところ、被告タツは、原告が実家の墓参りに外出した夜帰宅しなかつたことや、結婚前外国人から恋愛感情を訴えた英文の手紙を原告が受取つてこれを保存していたことなどから原告の異性関係に邪推ないし偏見を持つようになつたほか、原告が持参した花嫁道具が予想した程多くなかつた事で内心不満を抱き、又、舅の由蔵が原告に親切すぎることに対する嫉妬も手伝つて、同年秋頃から、原告に対し次第に冷ややかな監視の目を注ぐようになり、原告のなす家事万端にわたり些細な点までことごとく干渉して注意を与え、時には自分が家出するかのような言動を示したり、原告と全然言葉をかわそうとしない等原告に対し悪意に満ちた態度をとるようになり、更に昭和三〇年一月になると右態度は一層陰険かつ横暴さを加え、新婦にありがちな些細な言動をことさら過大にとりあげ、これを理由に原告の里帰りを禁じて一〇日間これを延引したり、その後実家から戻つた原告に対して今度は大塚家から排斥する意図を露骨に示すようになつたが、他方被告登も原告に対し特につらく当る振舞をした事はなかつたとはいえ、原告が、夫の養母である被告タツの気嫌をそこねまいとして忍苦と努力の限りを尽しているにもかかわらず、被告タツに対する畏れや考え過ぎなどから次第に寡黙となり却つて被告タツとの間で意思の疎通を欠くに至つている事情等に充分思いをいたさず、ひたすら被告タツに気がねをするのみで原告をいたわるような事もせずむしろこれに無関心な態度をとつていたが、昭和三〇年一月二八日原告が実家から戻つた頃以来、従来の態度を一変し、被告タツの原告排斥の意図に積極的に同調するようになり、同年二月四日原告には一切秘密のまま媒酌人野上幸三郎を通じ、原告の実家に本件内縁関係(婚姻予約)を破棄する旨の通告をするに至つたのであるが、それ以前、既に被告等の素振りから、或いは実家に戻されるのではないかという漠然たる不安にかられるようになつていた原告は、大塚家の中にあつて頼るべき人もないまま精神的には極度に不安定な毎日を送つていたが、同月七日妊娠三ケ月にして流産の危険に陥り、その客観的事実もよく理解出来ぬまま、しかも前示内縁関係解消通告がなされていることを夢にも知らないで被告タツとの不仲を解消したい一心から同被告の勧めに従い堕胎手術を受けるに至つたところ、被告登及び被告タツはこの機会をとらえ余後の療養に名を籍りて原告をその実家に送り返し以後原告の婚家への復帰の願いを拒み、もつて、正当の理由がないのにかかわらず、被告両名が相謀つて本件婚姻予約を解消するに至らしめたものというべく、被告登は婚姻予約不履行を原因として、被告タツは、被告登の右不履行を教唆した不法行為者として、原告に対し、これにより蒙つた原告の損害を賠償すべき義務があるといわねばならない。

ところで、前記認定のように、本件においては、原告と被告登とは一年近い期間内縁関係を続けていたのであるから、これを解消させた有責者たる被告登に対し本来ならば不法行為上の責任を追求することも可能であり、その場合被告登及びこれに加担した被告タツの関係については、当然民法七一九条に従い共同不法行為者として連帯責任を負わせるべきものであつたところ、本件において原告はその基礎たる事実関係が全く同一であるにも拘らず、偶々被告登に対し、不法行為責任を問うことなく、婚姻予約不履行理由に契約責任を問うたものであつて、原告のとつた法律構成の違いにより、一方では両被告に連帯負担を命じることができ他方でこれができないとして、両者を別異に取扱う合理的な根拠を見出し得ないから、債務不履行者たる被告登と、不法行為者たる同タツとの関係について、前記法条を類推適用し、両被告の損害賠償債務は、いわゆる不真正連帯の関係にあると解すべきである。

被告等は、原告こそ本件内縁関係を破棄したものであると主張するけれども、本件全証拠を検討するも、前示認定を覆し被告等の右主張を肯認するに足らない。

四  よつて原告の蒙つた損害について考える。原告及び被告両名の各年令、身分関係、結婚前の学歴、及び職歴については当事者間に争いがなく、被告等の財産関係についても、本件弁論の全趣旨から原告主張のとおりであると認められるので、これに前記認定の内縁破棄に至るまでの経緯、その他本件弁論にあらわれた諸般の事情を総合すると、本件婚姻予約不履行により原告の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇〇、〇〇〇円をもつて相当とし、被告等はこれを連帯して原告に支払うべき義務あることは前説示の理由により明らかであるところ、原告は、被告タツに対しては、金二八〇、〇〇〇円のみの支払を求めているから、原告の本訴慰藉料請求中、被告登に対し金五〇〇、〇〇〇円の、被告タツに対し、金二八〇、〇〇〇円の各支払を求める部分を正当として認容し、被告登に対するその余の部分を失当として棄却すべく、被告登の反訴慰藉料請求は、本件婚姻予約不履行の責が被告登に存し原告に存しないこと右に判断したところから明らかであるから、失当としてこれを棄却する。

第二、本訴中動産引渡し請求について。

原告は、原告主張の各物件が原告の所有に属する旨主張するので検討するに、原告及び被告タツの各本人尋問の結果(一、二回)によれば、右物件中(5) 着物山繭一点については、結納授受の際被告タツが土産物として反物のまま原告に贈与したものを、原告が裏付けし着物に仕立て上げてこれを嫁入りの際大塚家に持参した原告所有物件で現在も被告登が占有保管していることが認められる(右認定を覆えすに足る証拠はない)けれども、(1) 乃至(4) 、(6) 乃至(14)の各物件については原告本人尋問の結果(一、二回)によつても右事実を認めるに十分でなく、他に本件全証拠を検討するも原告がこれらを被告等若しくは大塚由蔵から贈与を受けた事実を認定するに足る証拠はない。

そうすると、被告登は原告に対し、右(5) の物件を返還すべき義務があるというべく、右物件の時価が金五、〇〇〇円であることについては被告登において明らかに争わないところであるから、原告の請求中、右物件の引渡及び、これが不能の場合の損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余の部分を失当として棄却する。

第三、反訴中不当利得金返還請求について

被告登は結納として金一五〇、〇〇〇円を原告に交付した旨主張するので、この点につき判断するに原告は右金員のうち金一〇〇、〇〇〇円についてはその受領を認めており、更に成立に争いのない乙一三号証に証人大塚由蔵、同野上幸三郎の各証言によれば残額五〇、〇〇〇円についても松魚料及び柳樽料なる名目で原告の実父に交付されている事実が認められ、右認定に反する証人渋谷政信の証言(一、二回)は採用出来ない。然し前記第一において認定したように本件においては婚姻の届出がなされておらず、従つて法律上有効適式な婚姻が成立したとは言えないまでも、被告登は挙式後原告と約一〇月余の長期間に亘り同棲生活を統けたことは明白であるから、結納授受の本来の目的は右事実によつて達成されたのであり、その後に内縁関係が破棄されたからといつて、右授受が法律上の原因を欠いたことにはならないと解するのが相当である。よつて被告登の反訴中右部分の請求は理由がないからこれを棄却する。

第四反訴中立替金債権請求について

被告登は(イ)乃至(ニ)の支払義務は当然原告が負う旨主張するが、(イ)結納セツト及びその附属品代は却つて被告登において支払われるべき性質のものであること多言を要しない。又(ホ)結婚式並びに披露宴費用の分担額ないし割合について、新婦を送り出す方に於いて一〇分の四、新婦を迎える方において一〇分の六とする慣習が当地方に存し、当事者双方これに従う旨合意していたと主張するが、本件のような新郎方居宅において行なう挙式の場合に右慣習が存したことないし右のような合意がなされたことを認めるに足る的確な証拠がない。

結局原告において負担支払いすべき部分は(ロ)、(ハ)、(ニ)に限られるというべきであるが、証人大塚由蔵の証言により真正に成立したと認められる乙三号証の六乃至八によれば、被告登は原告が新婦として被告登宅に来乗した自動車料金として昭和二九年三月二五日新東和タクシー株式会社に金一一、二〇〇円を、新婦の結髪、着付料として同日関谷功に金八、〇〇〇円、荷物運搬代金として同月二八日近畿南豊中運送株式会社に金五、〇〇〇円を各支払いしている事実が認められ、右認定に反する証拠はない。ところで本件全証拠によるも右支払いが原告ないし原告の実父母が被告登に依頼してなされたものである事実を認めるに充分でなく、従つて被告登において原告の利益のために任意に立替支払つたものと認めるほかはないから、右義務なき支払は事務管理を構成するというべく、従つて原告が遅滞の責を負うのは被告登から右立替金の支払いを請求された時以後となることが明白であるところ、本件反訴状が原告に送達されたのは昭和三二年八月一六日であることは当裁判所に顕著な事実であり、右日時以前に被告登が原告に対し右金員の支払いを請求した事実が認められない本件においては、原告は右合計金二四、二〇〇円及びこれに対する同月一七日以降完済に至るまで民法所定年五分の遅延損害金を支払う義務があるわけであるから、被告登の原告に対する立替金請求は、右限度において正当としてこれを認容し、その余の部分を失当として棄却する。

そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 下出義明 上田耕生 田中宏)

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